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沖縄時間


沖縄は独特の時間が流れている。


道であった人に「○○まで何分?」て聞いたら『歩いて15分』て答えが返ってきた。


実際はタクシーで15分だった。

* * * * *

自由なふたり旅は、行き当たりばったりな旅だった。

地元の人と話をする機会が今までになく多かった。


タクの運転手が、かつて「標準語政策(方言の統制)」があって沖縄弁がいっさい禁止されて標準語しか話してはいけないという時期があったことを教えてくれた。

太平洋戦争中の国としての団結力を高めるための日本軍の政策だったらしい。

* * * * *

今回は初めてひめゆりの塔にいってきた。
(写真の掲載は控えるね。載せられないや。)

ひめゆりの塔は、実際に今観光スポットとなっている壕自体は悲劇の一部分の場でしかない第三外科の壕。
まだ何箇所もひめゆりの学生たちが動員されていた場所は南部にあったということを、今回行って初めて知った。

塔と碑のある下に実際に壕がまだ残されていて
なんともいえないあの雰囲気に言葉では表せないショックをうけた。

資料館の中にはいると、実際に戦時中の話だったり展示物だったり歴史だったりが並ぶわけだけども


何よりも衝撃的だったのは語り部のはなし。


実際にひめゆり学生で生き残った人が語り部として館内にいて、実体験を聞くことができる。
自分の祖父母の戦時中の体験をたまーーーーーーーに聞くことはあっても
沖縄戦を実際に体験したひとの口から聞くなんて、そうそうある体験じゃない。


生徒・教員含めて222人のうち200人あまりがなくなったひめゆりの学生達。

「捕虜になってしまったことが、今日まで私が生きてこれたわけです。」
と、その女性がいったときには、もう涙がとまんなかった。


* * * * *

日本人なのに自国の戦争についての事柄を「自分の目」で見て・感じたことがなかったので、それは帰国してから絶対にしたかったことだった。

ただ、思っていた以上の衝撃で自分でもびっくりした。


あたしの日本人的感覚が「あたしの国の人がこういう目にあった」と感じる。
あたしのアメリカ人的感覚が「あたしの国の人がこうゆうことをした」と感じる。
凄く不思議で、不愉快な感情。


そうゆう事実があったこと自体、日本の戦後教育の中であんまり教わってきてないこと。
ましてや、アメリカでは太平洋戦争はパールハーバーを攻撃した日本への報復だという認識の人も多い。
時代の流れにあわせて、強者が決めた「都合の良い」教育がされるものだから。(前述の標準語政策も然り)



「平和」を願う人たちの言葉
その重み
その想い



ひめゆりで、痛いくらいに感じた。

旅行 / comments(2) / trackbacks(0) /
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コメント
すごくココロに響く文章でした。
目を背けたくなる事実にしっかり向き合ってきたんだね。
まだまだ自分の世界が狭いことを思い知らされたよ。。
泪が滲みます。。

いい経験したね。
* * 2006/03/15 1:41 PM
ありがとう。駄文ですが、気持ちが少しでも伝われば嬉しい。

うん、知れば知るほどに自分が無知なことをどんどん突きつけられるかんじがするよ。
目を背けたくなる事実も、たくさんあって
日本とアメリカの戦争そのものよりも、むしろ日本が過去にしてきたこと自体も(中国や韓国との摩擦を生んでいる要因)も目をしっかりと向けなきゃと思う。

ほんで、今の自分が、みんなが在るということ。
* かおりん * 2006/03/15 10:09 PM
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